東京電力福島第一原発1号機への海水注入が3月12日に一時中断された問題について、
[再臨界はあるか」との問いに班目原子力安全委員長は『再臨界の可能性はゼロではない』と答えたが後にそれは「事実上ゼロという意味だ」と述べた。常識的には「ゼロではない」のであれば「可能性がある」ということである。しかしこういうやりとりとは別に一般的にも「○○の可能性がある」と言う言葉の真の意味は「可能性がない」ということと同じではないかと思う。たとえば「旅客機は墜落する可能性がある」ということを誰も否定はしないであろう。現実に墜落した例があるからである。だが、それでも人々は旅客機に乗り旅行している。それは「可能性があるけれども、自分の乗る飛行機は墜落の可能性はない」と信じているからである。また「宝くじを買えば一等に当選する可能性がある」ということも誰も否定できない。そして宝くじを買う。しかし一等に当選したためしがない。つまり「可能性がある」ということは「可能性がない」こととイコールではないか。
次に掲げる9の文章のなかの「可能性がある」は「可能性はゼロである」と置き換えてもよいような文章だと思う。
1. 在日フランス大使館 3/15日「放射性物質が東京を通過する可能性がある」
2. 日経新聞4/13「総放出放射線量は190万テラベクレルにまで増える可能性がある」
3. 矢ヶ崎克馬氏4/14「現時点でチェルノブイリと同程度に深刻化する可能性がある」
4. 武田邦彦5/16 「3号機は核爆発の可能性がある」
5. 江戸川区 8/11「 この牛肉は、すでに全量消費された可能性がある」
6. 小出裕章氏8/23「2号機と3号機がメルトダウンすれば、水蒸気爆発の可能性がある」
7. ECRR 「ホルミシスは存在するとしても長期的には有害の可能性がある」
8. クリス・バスビー「再臨界が発生、放射性汚染物質が飛散した可能性がある」
9. あるブログ「放射線はどんなに微量でも健康に有害の可能性がある」
もちろん「可能性がある」と言う言葉が本当の肯定の意味で使われることも多いであろう。しかし可能性が大きければ、「可能性がある」とは言わないで「○○するのは必然」、「○○する筈」、「○○が予想される」などと言うであろう。「30年以内に東海地震が起きて浜岡原発を直撃し、周辺に大規模な被害をもたらす可能性がある」などという言葉は「可能性がゼロ」であって欲しい。
参考:放射線量と被曝


