2011年08月25日

....する可能性がある

東京電力福島第一原発1号機への海水注入が3月12日に一時中断された問題について、
  [再臨界はあるか」との問いに班目原子力安全委員長は『再臨界の可能性はゼロではない』と答えたが後にそれは「事実上ゼロという意味だ」と述べた。常識的には「ゼロではない」のであれば「可能性がある」ということである。しかしこういうやりとりとは別に一般的にも「○○の可能性がある」と言う言葉の真の意味は「可能性がない」ということと同じではないかと思う。たとえば「旅客機は墜落する可能性がある」ということを誰も否定はしないであろう。現実に墜落した例があるからである。だが、それでも人々は旅客機に乗り旅行している。それは「可能性があるけれども、自分の乗る飛行機は墜落の可能性はない」と信じているからである。また「宝くじを買えば一等に当選する可能性がある」ということも誰も否定できない。そして宝くじを買う。しかし一等に当選したためしがない。つまり「可能性がある」ということは「可能性がない」こととイコールではないか。
次に掲げる9の文章のなかの「可能性がある」は「可能性はゼロである」と置き換えてもよいような文章だと思う。
1. 在日フランス大使館 3/15日「放射性物質が東京を通過する可能性がある」
2. 日経新聞4/13「総放出放射線量は190万テラベクレルにまで増える可能性がある」
3. 矢ヶ崎克馬氏4/14「現時点でチェルノブイリと同程度に深刻化する可能性がある」
4. 武田邦彦5/16 「3号機は核爆発の可能性がある」
5. 江戸川区 8/11「 この牛肉は、すでに全量消費された可能性がある」
6. 小出裕章氏8/23「2号機と3号機がメルトダウンすれば、水蒸気爆発の可能性がある」
7. ECRR 「ホルミシスは存在するとしても長期的には有害の可能性がある」
8. クリス・バスビー「再臨界が発生、放射性汚染物質が飛散した可能性がある」
9. あるブログ「放射線はどんなに微量でも健康に有害の可能性がある」

もちろん「可能性がある」と言う言葉が本当の肯定の意味で使われることも多いであろう。しかし可能性が大きければ、「可能性がある」とは言わないで「○○するのは必然」、「○○する筈」、「○○が予想される」などと言うであろう。「30年以内に東海地震が起きて浜岡原発を直撃し、周辺に大規模な被害をもたらす可能性がある」などという言葉は「可能性がゼロ」であって欲しい。
参考:放射線量と被曝

タグ:可能性 言葉
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2011年08月24日

独裁者の末路は近い


8月24日、リビアの反体制派は23日、首都トリポリ中心部のバーブ・アジズヤ地区にある最高指導者ムアマル・カダフィ大佐の邸宅を制圧した。ただし、カダフィ大佐と息子たちの姿はなかったという。邸宅を制圧したリーダーは旧国旗を立てカダフィ大佐の銅像の頭部を切り落した。だが、カダフィ派は依然としてトリポリの一部地域を掌握している。

カダフィはまだ見つからないようであるが、いずれにしても風前の灯火であり、独裁者の末路は哀れであり、これは世界共通である。自分だけは生涯、君臨し続けられると考えているのかもしれない。政府も議会もない国家の権力と富を私物化してきた独裁者の当然の帰結であろう。リビア反体制派の掲げる国旗(は新生リビアの国旗でもある)は上が赤、下が緑、真ん中は黒で、白い三日月と星を描いた旗である。緑は大地を赤は刃を黒は戦い、白は国民の行動力だそうである。それに対しカダフィ体制の旗は緑一色の単純きわまりないものである。しかしこれはイスラームの開祖ムハンマドのターバンの色であると言うからまんざら意味がないわけではないようである。体制が変わっても国旗まで変わるというのは日本ではあり得ないことであろう。
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2011年08月23日

喫煙者はそんなことでへこたれない


米食品医薬品局(FDA)はたばこ会社にたばこのパッケージ、カートン箱、広告の全てに喫煙の害を警告する画像を表示することを義務付た。それで米国の大手たばこ会社4社が16日、これは言論や表現の自由を保障する合衆国憲法第1修正に反すると主張して米ワシントンD.C.の連邦地裁に提訴した。画像には「警告:喫煙はあなたを殺せる」とある。FDAは喫煙による死亡は米国だけで毎日1200人としている。

煙草の害は低線量の放射線(100mSv/y)より遙かにガンになる確率が多いとされている。
また肺癌になる可能性はずっと以前から指摘されている。喫煙者はそれを承知で煙草を吹かしているのである。今更何を言われても、何を見せられてもやめないであろう。自分が重症の肺癌だと診断されて初めてやめる人が居るかも知れない。それほどに煙草はやめられないのである。たばこ会社が騒ぐことはない、安心していてよいと思う。喫煙者は強いのだ。100mSv/yの放射線など屁とも思わない。脅かしてもすかしても彼らはへこたれない。煙草をやめるくらいなら「死んだ方がまし」とほざくのだ。だから煙草会社よ安心しなさい。
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2011年08月17日

人間ってなかなか死なないもんだ

  [人間ってなかなか死なないものだ」と言ったのは、37日間も釣り船で漂流し生還した武智三繁であり、2001年の流行語大賞になった。人間はピストルで撃たれ弾が身体を貫通しても死ぬとは限らない。全身やけどをしても死ぬとは限らない。150mの高さから飛び降りても、脚をもがれても、腕をもがれても死ぬとは限らない。「ガン」に犯されても死ぬとは限らない。強力な放射線をあびても必ずしも死ぬとは限らない。「人間ってなかなか死なないもんだ」と思う。「今後50年間で40万人にガン発症」と寝言を言っているクリス・バスビーなる人物がいる。またこれを真に受けて「これは大変なことだ」と叫ぶ知識人がある。しかし「人間って簡単に死なないもんだよ」。わずかな放射線でガンになるとかならないとか騒ぐ前に次の「死ぬかもしれない強力な放射線」を浴びても死なない例を紹介する。以下は東大病院の医療チームのブログを要約したものの転載である。

放射線治療における全身照射
白血病など「血液のがん」の骨髄移植を成功させるために、骨髄移植の前に行う全身照射は、文字通り体全体に放射線を照射する。この目的は、白血病細胞を完全に消失させることと、患者の免疫力を一時的にノックアウトして、他人の骨髄を自分の臓器として受け入れるようにするためである。1回2 Gyで、1日2回の照射を3日間連続して行い、合計12 Gy(12Sv)を全身に照射する。しかし12 Svを一度に浴びれば全員死亡する。それでも全身照射で白血病が完治した患者の多くが、社会復帰している。それは、「分割照射」のためであり、それは細胞には放射線による障害を修復する力があるからである。
全身照射の副作用は、治療開始直後に生じる放射線宿酔(船酔いのような症状)と、治療終了後、半年〜1年後に生じる白内障が知られている。若い女性の場合は、全身照射を行う時に、直接卵巣に放射線があたらないように鉛でブロックすることで、12シーベルトという極めて高い放射線による全身照射後でも生殖能力を保てる場合があり、妊娠・出産が可能になった症例もある。
全身照射と骨髄移植によって、白血病は不治の病ではなくなった。しかし、12シーベルトを全身に被ばくすることになるから、当然治療後に別の「がん」ができる危険は高まる。実際、骨髄移植後の発がんについても、移植後10年の間に約2~4%の患者に、悪性リンパ腫や白血病など発生すると報告されている。ただし、これらの血液のがんの発生は、全身照射の影響よりも移植後に用いる免疫抑制剤(臓器移植にともなう拒絶反応の防止のための薬剤)の影響の方が強いだろうと推測されている。
それでも全身照射で12Svという桁違いの放射線の医学利用を日常的に行っている。そして、こういった量の放射線を照射した場合でも、発がんのリスクは、「白血病の完治」という“利益”と比べて非常に低いと言える。

  放射線治療における放射性ヨウ素内用療法 
ヨウ素131が甲状腺がんの治療に利用されることがある。年間、60-70名ほどの患者に行っている。甲状腺ホルモンの分子を1つ作るのに、3個もしくは4個のヨウ素原子が必要だ。甲状腺の細胞だけがヨウ素を細胞内に取り入れるという性質を、がん治療に応用したものが「放射性ヨウ素内用療法」でる。ヨウ素131を小さなカプセルに入れて、患者に口から飲んでもらうのである。元素は、“放射性”であろうとなかろうと、生体内の振る舞いなど、物質としての性質は変わらない。がん細胞は、自分が生まれた臓器の細胞としての性質を受け継いでいる。甲状腺がんの細胞は、正常の甲状腺細胞から発生するから、もともとの性質、つまり、ヨウ素を細胞内に取り込むという性質を持っている。投与されたヨウ素131は、甲状腺のがん細胞内にも蓄積されることになる。
甲状腺がんの他に、正常な甲状腺の組織が残っていると、投与されたヨウ素131の大半が、甲状腺細胞に取り込まれてしまい、がん細胞への蓄積が見られず、“抗がん効果”も期待できない。このため、放射性ヨウ素内用療法は、手術で甲状腺を“全摘”した患者が対象となる。またヨウ素131のカプセルを飲む前に、海藻などの摂取をひかえる「ヨウ素制限」を行う。甲状腺がんの細胞が、ヨウ素に“飢えた“状態にしておくためである。
ヨウ素131は、主に飛程が2 mmの「ベータ線」を放出する。ヨウ素131が甲状腺がんの細胞に取り込まれれば、がん細胞だけが、選択的に、かつ、内部から攻撃を受けることになる。甲状腺がんだけを“ピンポイント”で照射するわけである。
ヨウ素131によって小児の甲状腺がんが増え同じヨウ素131でその甲状腺がんを治療する、まさに「毒をもって毒を制する」わけである。なお、ヨウ素131内用療法で使われる放射線の量であるが、甲状腺がんの治療では、3.7〜7.4 GBqを投与する。これまでのデータでは、ヨウ素131内用療法後の追跡調査で、奇形児が生まれる頻度は一般人と同じであることが確認されている。また、各種発がんの頻度もほとんど増加しないと報告されている。
    以上要約転載終わり
全身照射(全身被曝)で2Sv、分割照射とは言え全量で12 Svとはすごい。更に全摘の場合は3.7~7.4×10の9乗 Bqである。シーベルトに換算するとヨウ素131の経口による実効線量は2.2×10の−8乗 Sv/Bq であるからかけ算すると81~162.8 Svとなり、こういう換算が正しいとすれば空恐ろしい線量である。しかもこれはまさに内部被曝である。甲状腺癌に集中するとはいえ本当に大丈夫かと心配になってくる。しかし素人が心配してもどうにもならないから、これは専門家に任せるしかない。こんなに放射線を浴びても「人間ってなかなか死なないもんだ、結構タフだなー」と思う。プルトニウムを飲んでも死ぬ事はないし、まして100 mSv/y(0.0114 mS/y)の被曝を心配しても頭がはげるだけである。外科病院なら身体にメスを入れられ、臓器を切除されたりする。そのとき切り裂かれる肉体の損傷は内部被曝どころの話ではないと思う。多くの細胞が切られ遺伝子も大打撃をうける。だがその回復は免疫による自然治癒である。医者は切り口を縫合するだけで何もしない。自然治癒に任せるだけである。医療被曝も同じ事で医者は放射線を利用してガン細胞を殺すだけで、被曝による副作用も基本は免疫による自然治癒を助けるだけである。人間は相当なダメージを受けても自然治癒で回復する。だから「人間ってなかなか死なないものなんだ」。もし免疫による自然治癒を邪魔するものがあるとすれば、それは自分自身の「心」である。  続く

参考:放射線量と被曝

posted by アトム at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 放射線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

プルトニウムは飲んでも大丈夫!?

   刷り込みとはガンが孵化するときに最初にみたものを自分の親と信じてしまうというものである(コンラート・ローレンツが発見)。先日述べた「一般公衆の被曝限度は1mSv/yと法律で決まっている」と信じている人はこの言葉が「刷り込み」されていると思はれる。放射線被曝に関するこのような情報を最初に取り込むと、それが絶対正しいと思い込んでしまう。それと異なる情報は拒否し、全く受け付けなず「馬鹿の一つ覚え」の状況になる。
刷り込みと思われる一つの例としてプルトニウムの毒性について考える。プルトニウムに関しては「吸い込むと1gで約50万人を肺ガンにできる」とか「角砂糖5ヶで日本人が全滅する」と思い込んでいる人がいるようである。このユーチューブでは東大の大橋弘忠教授が「プルトニウムを飲んでも大丈夫」という発言に対してのコメントはメチャクチャ彼を非難している。そもそもプルトニウムが危険と言い出したのは誰であろう。その言い出しっぺは1974年にアメリカのタンブリンとコクランがホットパーティクル説を唱えたのが最初である。体内のプルトニウムの不溶性粒子がα線をだし続け周囲の細胞を被曝させ発がんリスクが高くなる。それはICRP評価の10万倍以上になるというものである。しかしこれは次の事実から否定されることになる。
1965年の米国ロッキーフラッツ火災事故被ばく者の例である。核兵器製造用のプルトニウム工場にて火災事故があり、酸化プルトニウムのエアロゾル(ほこり状の微小粒子)を吸入し、400名の従業員のうち25名が許容量を超えた被ばくをした。しかしその後も被ばくの影響は報告されていない。この例は、酸化プルトニウムの粒子径が正確に評価されているのが特徴である。彼らはホットパーティクル説に従っていずれ全員が肺がんになると予測し世間の注目を集めた。しかし20年を経過しても実際には何の影響も現れなかったので、逆にタンプリンの「ホットパーティクル仮説」の誤りが実証されてしまった。
以上アトミンより転載  その他プルトニウムの事故例が報告されている。 
  プルトニウムが他の放射性物質に比べて変わるところはない。「飲んでも大丈夫」という大橋氏に対して小出氏は経口より吸入が問題だという。そして「肺癌で死亡した例はあるか」との大橋氏の質問に小出氏は「マンハッタン計画の被曝で亡くなった人は居るが、しかしそれが有意であるかどうかを追跡調査し検証中」と答えている。しかしこれは不思議な話である。この事故は前述のatomicaのサイトにも紹介されている例であり1945年に起きたものであり、もう66年も経過している。しかも許容量を超えた量を吸入しているのである。「かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性」をもつプルトニウムなら、有意であるとかないとか言ってる場合ではない。許容量をこえて吸入しているのだから、数年のうちに全員死亡していなければならない。検証などしなくても有意どころか確定的影響(急性障害)でなければならない筈である。今に至るまで検証しなければはっきりしないということは「飲んでも大丈夫」であることの証拠ではないか。「角砂糖5ヶで日本人が全滅する」など絶対にありえないことである。プルトニウムは単なる放射性物質であり、特別なものでも何でもない。またなにかと問題発言の多い武田邦彦氏でさえプルトニウムを特別視はしていない。一方小出氏の方はすでに否定されている「ホットパーティクル説」をもとにプルトニウムの恐怖を煽っているようである。 
  原発反対派はとかく反対のために針小棒大の発言をする。別に反対して悪いわけではない。しかし賛成派から揚げ足を取られるような幼稚な反対理由を主張するから、原発の存在を許してきた原因ではないかと思いたくなる。一人が「刷り込み」状態になり、それをまたすり込まれて二次、三次と広がっていく。「プルトニウムは飲んでも大丈夫」等と言われてもあえて危険を冒すことはない。しかし過度に恐れることもない。

参考:福島原発事故
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2011年08月12日

被曝限度1mSv/y という法律はない

 「一般公衆の被曝限度は 1 mSv/y と法律で決められている」という言葉を専門家や学会等が述べている。そのため日本人全体がこの言葉に洗脳されているようである。多くの人は盲目的にこれを信じ、「子供の被曝限度を20mSv/yにする」などというニュースが流れると「子供を殺す気か」とか「法律を守れ」とかいう大合唱がネット上で起こる。しかしそんな法律は日本には存在しない。だから 100 mSv/y 以下は安全だという学者に対しても犯罪者だと決めつけたりする。1 mSv/yの根拠として提示される法律は「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則」であり、その14条11第四号(ロ)(3)と第五号(イ)(3)である。これは放射性物質を取扱う事業者が事業所から外部に排出する排気や排液の濃度を定めたものである。その濃度は文部科学大臣が定めるとなっており、その定めた値が 1 mSv/yである。このほかの法律では「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」に基づく規則に「周辺監視区域には 1 mSv/yの線量限度を超えないこと」と定めている。事業所からだすものは 1 mSv/y 以下にするということであり、決して人体への直接の被曝を決めたものではない。もし法律があるならば千葉県野田市で子供の被曝量としてわざわざ 1 mSv/y を独自基準値に決める必要はない。事業所周辺だけなら一般大衆に対しての被曝はほとんどゼロになる筈であり、それを法定だとすれば逆に被曝の規制(ゼロ)を 1mSv/yに引き上げることになる。また ICRP が環境への放出を 1 mSv/y としていてもそれはあくまでも勧告であって法律ではない。次は被曝限度を提案している機関である。
●フランス科学アカデミー :   「 200 mSv/y 未満は実質的に無害 」( 2004年提言 )
● 国際放射線防護委員会 ( ICRP )「 100 mSv/y  以下を日本に勧告 (3月21日) 」
●  放射線医学総合研究所      「100 mSv/y」
● アメリカ保健物理学会 :  「 50 mSv/y 未満は無害 」 の提言 ( 2005年 )
● 安全安心科学アカデミー : 「30mSv/y 以下が安心レベル」
● 食品安全委員会:      2 mSv /y = 年間放射性ヨウ素基準値 
●  ICRP  1 mSv/y →  20〜 100mSv/y  (2011/3/21)
「公衆の被曝限度 1 mSv/y 」などという法律は存在しないのである。事業者の管理項目としてならゼロでもいい。しかしここで示したようにリスク管理(被曝限度)としてはかなり緩やかである。管理項目とリスク管理を一緒にして、それを行政に反映させると莫大な費用を無駄に費やすことであり、それはまた住民に多大な負担を強いることになる。
参考:放射線量と被曝
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2011年04月20日

放射線毎日浴びてます

原発事故の風評被害が人にまで及んでいる。つくば市では福島からの避難民に対しスクリーニング検査の証明書を提示するように要求したという。原発の処理作業をしていたならまだしも、単なる避難区域からの人には全く無用なことである。福島からの旅行者の宿泊を拒否したり、福島ナンバーの車に「帰れ」と落書きしたり全くもって、無知というかバカというか言いようがない。被災地の野菜類の即売会では即完売となる人気なのに、流通業者が買ってくれないから値段が暴落するという。どうして大人達はこうも無知なのか。放射線と聞くだけで恐れるのは、「危険な放射線はゼロであるべきだ」という考えが浸透しているからであろう。このような考えは「閾値(しきいち)なしの直線仮説」(LNT仮説ともいう)を前提に広がったものであるが、確定した学説でないから仮説と言われる。
  '閾値なしの直線仮説'    http://www.ies.or.jp/japanese/mini/mini100_pdf/2007-01.pdf#search='
しかしこの仮説に対しては放射能関連機関や識者の間でも反対意見は多い。LNT仮説に反対の立場から「安全だから心配無用」と主張するのは稲恭宏氏である。
 稲恭宏氏のテレビニュース http://youtu.be/60Ez-ev84l0
福島原発事故の医学的科学的真実: 稲 恭宏博士 緊急特別講演 1-6  http://youtu.be/60Ez-ev84l0
 稲氏の「低線量率放射線治療」は「放射線ホルミシス」がベースになっている。
 ホルミシス臨床研究会 http://thar.jp/
 自然界にはすでに放射線があり、人々は2.4ミリシーベルト/年の放射線の影響を受けている。地域により国によりこの量は数十倍にも大きくなるところもある。また人体内部(体重60kg)にもすでにカリウム40が4000ベクレル、炭素14が2500ベクレル程度が存在し、通常の食品にもわずか(たとえば干しこんぶには2000ベクレル/kg)含んでいる。1958年以降、国連で合意を得たこの「LNT仮説」に反対意見が出るきっかけになったのが、1982年、米国ミズーリ大教授:トーマス・D・ラッキー博士が発表した論文である。それは少量の放射線は免疫機能を向上させ、老化を抑制するという「放射線ホルミシス効果」であり、LNT仮説とは正反対の主張である。彼は1970年代のアポロ計画において宇宙飛行士が宇宙放射線による健康への影響を研究する中心人物であった。しかしこの説は当初は無視されるが、3年後、服部禎男氏(電力中央研究所)がこの説に大きな疑問を持ちラッキー博士と接触することになるが、なんと服部氏は「放射線ホルミシス」の共同研究を始めたのである。それ以後は岡山大学をはじめとして全国14の大学と二つの国立研究機関がこぞって研究を始めた。そしてついに2005年には「国際ホルミシス学会」が発足した。
世の中に心配性の人達が多いようであり、それらの人々が稲氏の「低線量率放射線療法」を知ると猛烈に非難し罵倒する。稲氏の主張はマウスの実験であり、人には適用できないであろうと非難する人がいる。しかしLNT仮説はマウスどころかショウジョウバエの実験が基礎になっているのである。批判する人もまたほとんど知識がないままに「放射線はとにかく危険だ」と言って欲しいらしい。しかし次の現実もあることを知るべきである。
チェルノブイリの事故から25年、いまだ18キロ圏内の立ち入り禁止区域に、事故後一ヶ月もしないうちに戻り、そこで生産される農作物を食べて生活している人が180人ほどいるという。そして彼らは言う「避難した多くの人は死んだけど、私はいまもここで生きている。草も木も動物も本来あるべき姿で生きている」。
チェルノブイリ立ち入り禁止区域、「ゾーン」の今 大事故から25年
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2793107/7001681
この放射能被曝に関してあまり指摘されていないことがある。それは放射能恐怖症や放射能ノイローゼとか心配のあまり、身体に変調を来し、様々な病気になる。放射線の直接の被害より、心の病がより重大のように思える。安心させる心のケアが必要であろう。
「病は気から」というように現在も病院を訪れる人の70%は不安や悩みが原因とされるのであり、まずは放射線に対する恐怖を取り除くことが先決であろう。寺田寅彦じゃないけれど「正しく恐れる」ことが必要である。
しかしながら、小生は原子力発電に賛成しているわけではない。その安全性や使用済み燃料の処理など課題が山積しているからである。原発の賛成反対と放射線を過度に恐れることとは別の問題である。

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2011年04月13日

今更、どうしてレベル7に


政府は4/12日、福島原発事故の深刻度レベルを5から7に引き上げた。
レベル7は1986年のチェルノブイリ原発事故と同じレベルである。深刻度のレベルは7段階しかなく、あるレベル以上はどんなに違いがあってもレベル7にすすしかない。
原発事故などあってはならない事であり、7段階あれば事故のすべてが包含できるということであろう。しかしこれだけ原発が多くなれば、もう少し細かく分類する必要はないか。同じレベル7でも福島とチェルノブイリでは大きな差がある。これを同じとするのは将来的にも問題であろう。福島で拡散された放射能はチェルノブイリで拡散された放射能の1/10とされている。つまり数万ベクレル以上はすべてレベル7になる。福島をレベル7にするのなら深刻度のレベルを10段階に設定しなおして、チェルノブイリをレベル10にするのはどうか。最高レベル7のままで、今更こういうことをすると日本はさらに風評被害が大きくなり、特に海外からの観光客は激減するかもしれない。福島はレベル7、チェルノブイリはレベル10と訂正すれば風評被害は少しは緩和されるかも知れない。
posted by アトム at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする